厚生労働省は、2025年には認知症の患者数が700万人を超えると推測しています。認知症に対応する保険も多く発売されていますし、認知症予防を謳った食品や運動法等、人々の関心は以前よりも確実に高まっています。
しかし認知症がどんな病気か?と聞かれるとなんとなくボケの延長線にあるようなイメージしか持っていない人も多いのではないでしょうか。
もちろんそのような側面もありますが、認知症には大きく分けて種類が4つ、それらが複数重なっているケースもあり、治療方法も異なります。ある程度症状が進行するまでは本人も周囲も気が付きづらいという点も特徴だと思います。
ここでは実際に体験された方にインタビューさせて頂いた内容を紹介させて頂きます。
家族が認知症になってしまったら
私の父が認知症と診断をされたのは、今から約5年前の2015年9月でした。その半年前に転勤で九州へ異動となり、父一人を関東へ残していくことに若干の心配はありましたが『まさか自分の父親が!』というのが本音でした。
思い起こせばその3年前(2012年)に母が先立ってから、運転が趣味だった父が車をぶつけたり道を忘れたりということへの違和感にきちんと向き合っておくべきだったかもしれません。
父への診断は「レビー小体型認知症」で難病と認定されているパーキンソン病も併発しており、認知機能だけでなく身体機能への衰えにも対処していく必要がありました。
厳しい介護生活
遠距離介護への道
そもそも認知症という診断が出たきっかけは、朝6時ごろに家の近くで倒れていたのを近所の人に発見されたという衝撃的なもの。
身体のバランスを崩して顔から地面に落ちたとのことでした。その日はすぐに九州から駆け付けたものの、唯一頼れる伯母も電車で1時間以上離れたところに住んでおり持病を抱えています。
「介護離職」という言葉は聞いていましたが、父は64歳で自分は29歳といくらなんでも早すぎる・・・と途方に暮れました。
とはいえ悩んでいても仕方ありません。病院で介護認定の仕組みを聞き、自治体へ問い合わせをして一刻も早く父が生活のサポートを受けられる仕組みを作ろうと奔走しました。
幸い、営業職で出張が多かったこともあり体力的にはきつかったですが、月~水は九州、木曜は東京で仕事、金・土で介護の準備という生活を続け、約1か月後には介護認定が出て訪問介護と通所介護を組み合わせ、毎日少しでも父の様子を見てもらうことができるようになりました。
進行していく認知症
認知症になったら『適度な運動や人とのコミュニケーションが大切』とはよく言われることです。
たしかに仮に介護離職していたら、病気の進行を遅らせられたのではないかと思うことは今でもありますが、とても素人にはできなかったことでしょう。
若いから進行が速いだろうと言われてはいましたが、父の衰えは思った以上に速く、介護が始まって約半年でこれまで付き添われて行っていた買い物もヘルパーさんが代行するようになりました。
健康な人が歩けば約10分の場所にあるスーパーまで30分以上もかかるようになり、お金のやりとりも困難となる中『できることは自分でさせる』というのが大事だとはわかっていながら決断をしたものです。
以降、一つまた一つと父にさせないことを増やし、できないことを増やしていくのは身を削られるような思いでした。
在宅介護の限界
自宅は父が現役時代に購入し、数年前に退職金等でローンを完済したばかり。本人に聞けば当然家を出る気はないと言いますし『多少の不自由はあっても少しでも長く住み慣れた場所で暮らしてもらいたい』と私も思っていました。
そもそも介護認定を受けたのさえつい最近で、ケアマネージャーさんやヘルパーさんにも無理を言いながら今の生活が安定してきたところです。
しかし、そうこうしているうちに父が鍋を焦がしたり、洗っていない洗濯物を引き出しにしまったりという問題が出てきました。1日に1時間程度様子をみてもらうだけの生活には近く限界が来ようとしていました。
実家売却までの道のり
不動産会社への見積依頼
もはや父の意思は尊重していられないと覚悟を決め、まずは自宅を購入した不動産会社へ相談、並行してネットで複数の不動産業者へ見積依頼をしました。
自宅はお世辞にも利便性が良い立地とは言えません。いずれも徒歩で最寄り駅まで約25分、スーパーまで約10分、小学校まで約20分、中学校まで約30分。
さらに行き止まりになるので、宅急便のトラックもバックで同じ道を戻るしかないという欠点がありました。
一方で間取りは4LDK、築年数はまだ11年と浅く、またこれから父の介護生活が何年続くか分からないことを考えるとできる限り高く売却をしたいと考えていました。
査定と各社からのアドバイス
一般的に『複数の会社へ物件の査定を依頼した方が高く売れる』という話を聞いていたのですが、査定額自身はあまり変わりませんでした。
そもそも土地は評価額がありますから、あとは建物の価値と各社がどれだけ利益を見込むかという構図を考えると、どうにも高く見積をしようがなかったのでしょう。
共通した意見は『すぐに売れるか分からないのでまずは高めでいいので売りに出してみませんか?』というものでした。
しかし媒介契約の方法には、一般媒介・専任媒介・専属専任媒介という3つがあります。
まずは焦らずに行こうと思い、複数社と一般媒介契約を結ぶことにしました。
難航する売却活動
広告等への掲載を始めてもらったのが2016年6月でしたが、問合せや現地見学はあってもなかなか具体的な商談には至りません。
理由を聞くと、駐車場が1台分(正確には縦列なら2台ギリギリ止められる)であることや、下水処理が本下水ではなく浄化槽である等、住み始めると気にならない点でもこれから購入を検討する人にとっては悪条件となる点が露わになっていきました。
そして最大の問題は居住中であるということ。しかし空家にするには時間がかかりますし、空家になってから時間が経つと物件が劣化する(換気をしないとカビが生える・水を使わないと水道管が傷む等)と言われます。
金額を下げれば可能性があるという会社もあれば、専属専任媒介契約を結んでくれればもっと宣伝を強化できるという会社もあり、判断がつかない状態が続きました。
事態はさらに深刻化
やがて父が徘徊を始め、いよいよ施設への入居が不可避だと思い始めたのが2016年11月。
その頃には最初に設定した金額よりも200万近く値を下げていたのに問合せは皆無になっていました。足元をみられているとはわかっていましたが、不動産会社からは「買取」という選択肢を提示されました。
要は『一旦会社の在庫となり必要なリフォーム等を施して売りに出す』というのです。その価格は,当初希望した価格よりも450万円も低く、住んだ年数と支払った金額で考えると元さえ取れなかったと思われる条件でした。
施設入居への手続きと売却交渉で板挟みになって、身動きがとれなくなったときの苦しさは忘れることができません。結果的には12月に施設への入居が決まり、空家になったことで買い手が付くことを期待したものの不調に終わりました。
前述の通り空家のままで長期間放置することを懸念し『買取』を依頼することにし、最終的に売却をしたのは2017年2月末、売却を検討し始めて約8か月後のことでした。相手方は最後まで親身になって話を聞いてくれた担当者がいた地場の会社にしました。
売却、それから
売却当日
父は既に初対面の人と会話をするのは難しく、名前を書くだけで何度も書き直しが必要な状態になっていました。不動産の契約には本人の意思で行わなければなりませんが、もはやギリギリの状態になっていました。
仲介会社へかなり無理を言ってねじこんでもらいましたが、もう少し遅れていれば自身が成年後見人となる手続きを経て、家庭裁判所の許可を得る必要か、物件の名義変更が必要となる段階まで来ていました。
売却手続きそのものは媒介契約を結んでいるので当然ですが書類のほとんどが出来上がっており、捺印やお金のやり取りをするだけであっけないものでしたが、とにかく肩の荷が下りた思いでした。
財産等の処分
実は売却にあたり他にも条件をつけていました。
買い叩かれたというと表現は悪いのですが、納得できる売却額ではなかったという気持ちから、できるだけ余計な出費や手間を抑えたいと思い大型家具の処分を仲介会社へお願いしたのです。
施設へ入居する際に父の生活に必要な品物は運びましたが、食器棚やタンス等はほとんど残したまま。不用品処分を頼んだら数10万円はかかっていたことでしょう。
まとめ
売却が決まった直後、父は施設から夜中に抜け出してしまい退去を言い渡されました。もはや遠距離介護は限界と悟り、2017年4月に転勤先の九州へ父を連れていくことにしました。
慣れない土地で孫の顔を定期的に見せに行き、励まし続けたものの、2019年10月に認知症と診断を受けてから約4年、父は亡くなりました。
相続手続き等、親が亡くなってから不動産を処分する手間を考えると、あのとき処分していてよかったと思う反面、父本人が納得する形で自宅を手放すことができなかったという想いはぬぐえません。
認知症の親と不動産への対処は各家庭で異なると思います。入居させる施設によっては実家を売却しないと費用の負担が困難な場合もあるでしょうし、状況によって本人や家族の意思だけで決められない問題が出てきます。
決して楽しい話ではありませんが、認知症になる前に家族で話をしておくことが少しでも後悔を小さくする方法かと思います。